◆第9回◆「西暦2000年に1000年後の未来の伝説&神話を解読!」

 新たなミレニアムの到来にワケもなく盛り上がっている連中も多いようだが、キリスト教徒でもない我々が(敬虔なクリスチャンがこんなハイパー堕落雑誌の邪悪記事読んでるワケねえよな)西欧の鬼畜米英どもの暦に合わせてバカ騒ぎをする必要などどこにもない!しかしこれを時代の節目として「歴史」や「轢死」について考えるにはいい機会なので、今回の鬼畜塾は、塾長自ら妄想電波を未来に飛ばして調査した「今から一千年後の西暦3000年の日本で語られている神話や伝説や民話」について検証する。「現在の我々の時代が千年後の未来にどう評価されているか?」が良く分かるから興味深いぜええええええ!

○電波で探った「未来の神話」について
 かつては誰もが能天気に希望あふれるバラ色の未来を夢見たものだが、薔薇族の未来がエイズの登場でまっ暗に近いドドメ色になったのと同様、いつの間にか我々の想い描く未来のイメージも映画の『ブレードランナー』に代表されるような、廃墟やゴミに囲まれて灰色にうす汚れたデッドテックなものとなってしまった。しかし、ある意味でそれは正解である。千年後だろと2千年後だろうと人間そのものの本質が激変することはなく、いつの時代でも若い連中は、親に隠れてチンポやまんこをシゴいてはヒイヒイ言いながら臭えマラ汁やまんこ汁をたれ流すものである。俺が時々接続する電波世界の中には、この宇宙で過去&現在&未来に流された全てのマラ汁やまんこ汁が大河となって存在しているのだが(聖なる流れのガンジス川に引っ掛けて、性なる流れの「マンジル川」と呼んでいるが、とてもクサいので「大汁異臭川」ともいう)、俺はいつもその川のほとりに座って「人生とは?けつの穴とは?アナルセックスとは?」と深い感慨にふけりながらアナルオナニーをしている。そうやっていると時々、川を流れる無数の精子や卵子やカウバー液やオリモノが、俺に無数の「生死」や「乱視」にまつわる様々な物語を語りかけてくるのだが、そのどれもがハナが曲がりそうに臭くて聞いっちゃいられねえんだよ馬鹿野郎! だから何だということもないのだが(ここまでは今回のテーマと何の関係もありません)、電車に轢かれて死ぬ「轢死」はともかく、「歴史」というモノは常にその当時の支配者や支配階級にとって都合の良いことしか書き残されないのが定説ではなく事実である。我々が学校で習う日本の歴史についても、実際その当時に何があったのかなんて、誰も分からないのが本当の所である。俺は子供の頃に「日本が太平洋戦争で負けた」と知ったときにショックで「ウソだろ!だったら何でこの国はこんなにのほほんと平和に繁栄してるんだ!」と、なかなかその事実を受け入れられなかったものである(実は今でも完全には信じていない。
電波が俺に見せている偽の現実なのかもしれないとマジで疑っている)。俺が生まれてからのことはともかく、俺が生まれる前の世界で何があったのかなんか分かったものではない!だいたいアナルセックスの歴史にすら一言も触れない学校の歴史の授業が「歴史」を正しく伝えているはずがあるものか!このことをふまえて鬼畜塾生たるものは常に「受けとる情報を簡単に信じてはいけない」という態度を忘れてはならない。くれぐれも「本に書いてあるから本当だ」なんて思うなよ。俺の経験では「本の形をした“電波”も無数にある」んだからな。そういうワケで、今回「未来の神話」について語るのは「起こったことが歴史の中でどれだけ味付けをされていい加減に後世に伝わるか」ということと、「現代の我々の置かれている状況を冷静に客観的な立場で見てみたら」と「真実や現実は一つではなく無数にある」ということをより深く学ぶためである。中には信じられないようなこともあるが「電波調査」によるものだからあまり真面目に信じるなよ。全てを疑え!

○千年後の未来の日本で伝わる新たな神話
1 「オウムが大きな勢力を持った巨大宗教となり麻原晃彰が再評価される」
★村崎の解説
 いや〜全く驚いたねえ。何があってこういうコトになったんだか俺もいろいろ調べたんだけど、確かにそうなっても全然おかしくないことは、たとえば現在のキリスト教の普及について考えれば良く分かるぜ。実際、信者によって語られているキリストではなく、2千年前に存在していた「本当のキリスト」ってのは単なるヒッピーまがいの電波系のキ○ガイで、今で言えば「ライフスペース」の高橋代表や「加江田塾」の東塾長と同レベルの人間だった可能性の方が高いしな。あまりに迷惑な馬鹿なので十字架にかけられてあっさり死んだキリストだったが、残った信者(キ○ガイに同調する同レベルのキ○ガイ:この場合は主に同じ電波系だったパウロが果たした功績が大きい)の努力と宣伝活動でいつのまにか「あの人はまことに神の子だった」ってなことになって今に至っているワケだ。まあ、当時は科学があまり発達していず、妄想や電波が今よりも人に及ぼす影響力が大きかったということもあっただろう。で、オウムに話を戻すと、現在の状況というのは短期的にはオウム側の敗北に見えるが、もの凄く長期的な目で見るとオウム側の完全勝利であることは明白なのよ。理由を説明しよう、千年後の日本では千年前の現在の日本は「政治家も官僚も人民もその全てが身も心も腐敗しきって乱れまくりの超ハレンチな時代」として徹底的にバカにされている。その一方で、信者たちによって大切に保存された麻原の著書には「文面だけはもっともらしい正しいこと」ばかり書かれている。この二つのことを検証した未来人が、麻原について「こんな腐った時代の中で、こんなに正しいことを説いていたら、腐った奴らの陰謀で殺されても不思議はないかもな」と判断しても全くおかしくなんだよな。塾生諸君は「そんな馬鹿な」と思うかもしれないが、よ〜く考えてみろ!今から千年後の人間とって、千年前に地下鉄サリン事件で殺された数十人の人間がナンボのもんかね?たとえば、いま現在リアルタイムで「島原の乱」で虐殺された千人以上のキリスト教徒を思って真剣に怒り、「徳川の奴らは許せない!子孫を皆殺しにしろ!」ってマジギレしてる奴が何人いるんだよ?悲劇の地も今じゃ単なる観光地になって「天草四郎様ステキ〜!」なんて能天気に小説だの舞台だの映画だのやおい本だのが作られてひまつぶしの娯楽になってるだけじゃねえか。これは千年じゃなくて、たったの数百年前の話だぜ。だからサリン事件の被害者の遺族の憎悪が千年後まで正しく伝わるはずがねえんだよ。お前ら、千年後の人間がサリン事件の被害者に同情して糞をもらしながら激しく泣いてくれるとでも思うかァ?んなこたあねえよ馬鹿野郎。たとえば遺族の怨みのコメントが本になったものがあるとしよう。いま現在ならともかく、千年後の未来に誰がそんな辛気臭い本を読みたいと思うかね。だけど麻原の信者たちは違うぜ。信者たちは子々孫々まで「尊師は本当に素晴らしい方だった。尊師は国家権力のでっちあげで無実の罪をきせられて殺されたのだ」って伝え続けるから、麻原の著書は千年後にも文献として残るだろう。集団ってのは強いよなあ。そうやって「尊師の無実」を言い続けるうちに数百年経って、人々の記憶からオウムのマイナスイメージが消えれば「本当にそうだったのかも」って信者以外の人間が信じはじめても不思議はねえんだよ。遺族が聞いたらムカつくかもしれないけど、千年後の日本での麻原の人気は凄まじいぞ〜。俺が電波で見た限り信者の数は数千万人で全国各地にサティアンが建てられる。そして、そこには十字架にかけられたキリスト像のように、吊し首になって目を剥いているデブの麻原像が飾られ、信者は「首吊り麻原像」をペンダントにして誇らしげに首から吊るしてるんだ(笑)。もちろん事件の小説化や、映画化や、舞台化や、やおい本化は進み、麻原はキリストのようにポピュラーになって学校の道徳の教科書(正確には副読本だが)でも「人々に多くの愛と感動を与え、時の権力に謀殺された昔の聖人」だと紹介されるんだから大したもんだよ。まあ、俺には徹底的にどーでもいい話だけどな。だけどこの電波話、信者の努力次第で本当に実現するぜ!
★教訓:勝つと思えば負けるのが常だが、時には「負けるが価値」ということもいえる。物事の決着は最後まで分からないし、ストーンズが「時は俺の味方」と歌うように膨大な時間の流れを味方につけた奴が妄想戦に勝利できるのも事実である。だから全てを疑え!


2「宇宙戦艦ヤマトや機動戦士ガンダムなどのアニメ世界が現実の戦争と融合して新たな神話が創生されている」
★村崎の解説
 これもね〜個人的にはど〜かと思うんだが、なかなか濃い世界なんだよね〜。全部話すと『GON!』一冊ではとても足りないぐらいだからかいつまんで説明すると、こうなったきっかけは、どうやら現在バリバリに活動を続ける大勢のアニメオタクや特撮オタクの連中(30代〜40代前後)が歳をとってボケ老人になる二〇四〇年〜五〇年代に秘密があったんだ。なんせオタク以外の人間とあまり交流せずに家に閉じこもってアニメキャラに熱をあげてアスカや綾波や林原めぐみや椎名へきる程度でズリセンこいて何本でも抜ける素敵な連中だからね〜。ボケると現実と非現実の境界線があやふやになるのは普通の人間でも良くあることで、今でもたまに老人ホームでイキナリ「ワシは乃木大将である!」とか言って二〇三高地に向けて突撃指令出す奴もいるが、これがアニメオタクのボケ老人になると「ワシは若い頃、宇宙戦艦ヤマトの搭乗員だったんじゃ」とか、「ソロモンの戦闘ではリックドムを3機も撃墜した」とか「ここだけの話だけど、一度だけアスカと寝たことがある。あれは第10使徒が来襲する前で……」とか、「誰にも話したことないけど、あたしは昔ホワイトベースの便所脇でアムロに“ねえ君、ジャブローで俺のチンポをシャブろう!”って口説かれたことがあるの」とか、「俺の腰がこんなに曲がったのは昔働いていた早乙女研究所で大量のゲッター線を浴びてしまったせいだ。あれはバケツで運んだのが間違いだった」とか、「キシリア様はそれはもう気高く美しいお方で、センズリのオカズにするなど、当時はめっそうもないことだった」とか「俺はジョニー・ライデン少佐とは同期だった」なんてのたまう奴らばかりなので、介護する若いヘルパーたちも、毎日そういう妄想昔話につき合ってりゃあキ○ガイがうつって「ジイさんたちの若い頃は毎日怪獣が攻めてきたり地球政府とコロニーの間で戦争があったりして大変だったんだなあ」なんて同調して感動する馬鹿も一人二人は出てくるから困ったもんだ。こうしたボケオタク老人も、口で言ってるだけのうちは良かったんだが、そのうち「この哀しい歴史はワシが書き留めて後世に伝えねば」なんていう使命感に燃えてマジでリアルに書かれた『ヤマト搭乗日記』とか『ジオン公国興亡史』なんてブチ切れた歴史書を書き残す奴が何人も出てきて後世に残っちゃうんだよ。特に多くて念入りに書かれたのが『宇宙戦艦ヤマト』に関するものだが、これは元々シャブ中プロデューサー(最近も、シャブと銃器を積んだ「武装クルーザー“ヤマト”」が発覚して逮捕されている)の妄想が相当に色濃く影響しているので、作品自体が最初から“電波”なので仕方がないといえば、仕方のないことなんだよなあ。こういうヤマトオタクの老人が死ぬ時に吐く言葉は必ずといって言い程、「地球か…何もかも皆なつかしい!」という沖田艦長のアノ言葉だっていうから笑ってちゃうぜ。こういうキ○ガイの寝言に近い妄想文献も、27世紀あたりになると立派な「古文書」扱いで、相次いで復刻されたり出版されたりして、27世紀のオカルティストや陰謀論者たちの手によって「日本は宇宙戦艦ヤマトによって救われていた!」ってことが盛んに言われる。最初は誰も相手にしなかったんだが、28世紀に起こる世界的な地殻変動とそれに伴う大国同士の戦争で地上は焼け野原状態で人類もほとんど死滅しかける。残った人類の懸命の努力で29世紀の中頃には文明社会を復興させ、何とか普通の人間も週末には恋人とアナルセックスを楽しめる余裕を持てるライフスタイルを獲得することになるのだが、地殻変動や戦争でインターネットもズタズタになり、図書館もみんな焼けてしまうという大混乱で、27世紀以前の世界で何があったのか分からなくなってしまう。そういう混乱の中で日本神話とアニメオタクの妄想が融合して29世紀には「日本は宇宙戦艦ヤマトによって救われた」ということが新たな神話として流通しちゃうわけだ。最も、情報が混乱したせいで「ヤマトの艦長はヤマモトヨーコ」だったというのが定説になっていて笑えたねえ。
★教訓:現実は一つじゃないし、真実は一つじゃないし、あんたも一人ではない。人間は本来「一人、二人」という単位で数えるのではなく「一回、二回」と回数で数えるべきなのが本当で、本当は誰もが数億数兆回の自分を抱えているものなのだ。


付録「いまの30代にとっての『宇宙戦艦ヤマト』体験とは」
 何を隠そう、このアニメの初放映当時は俺のチンポ汁が出始めた頃で、すでに親に隠れて連日下着ドロボーやアナルオナニーをガンガン楽しんでいたものだが、他の地区はどうかわからないが、俺が住んでいた北海道では『ヤマト』は某曜日(忘れた)の午後7時半からの放映だった。しかし同時刻に別の局では特撮ドラマの『猿の軍団』が放映されており、ビデオがまだ普及していなかった当時の子供たちを「どちらを見るか」と大いに悩ませ、このチャンネル争いで兄弟喧嘩が各家庭で多発して殺人事件まで起きたほどであった(大嘘)。読者諸君は笑うかもしれないが、娯楽の乏しい田舎の子供社会では、『ヤマト』か『猿の軍団』のどちらを選んで見るかはかなり深刻な問題で、その人間のセンスどころか全存在が問われる重大事だったのだ。もちろん俺は迷わず『ヤマト』を選んだが、『猿の軍団』を選んだ俺の友人は、再放送があるまで『ヤマト』の話題に参加できず村八分状態だった(最近、衛星放送で『猿の軍団』の再放送を見て「俺の判断は間違っていなかった」と改めて思った)。ちなみに当時『ヤマト』の放映後の午後8時からは『ヤマト』よりもさらに暗い絶望的なSFドラマ『日本沈没』(小松左京原作/藤岡弘主演)が続いて放映されていて、俺は毎週地震や災害で人が死に日本が沈んでいくシーンを見て「ざまあみやがれ」と爽快な気分になったものだ。しかし多感な年頃の若者が『ヤマト』や『日本沈没』のような暗い物語を連続して見て精神に良い影響があったとはとても思えず、これがハルマゲドン&終末思想やキ印カルトがはびこる基盤のひとつになったのは間違いないだろう。麻原も上祐もオウムの信者たちも『ヤマト』には相当に影響されている、そう考えるとシャブ中の妄想って、ホント〜に迷惑ですね。まともに受けとる方がバカなんだが…。

3 「雑誌『GON!』が超レアアイテムとしてカルトなファンの間で大人気!「GON!」が古事記や万葉集のレベルで国宝化されたうえに、GON!編集部とミリオン出版の物語は国営放送で大河ドラマ化か決定!主演の比嘉健二役には何と矢沢永吉の子孫が決定!「GON!」に書かれていることは全て当時本当にあったことだというのが定説になる」
★村崎の解説
 これも凄いんだぜ〜。西暦三〇〇〇年の日本を制覇するのは、人気アイドルグループでも、キ○ガイカルト宗教でも、保守与党の「スーパー自民党」でも何でもない!復刻されて数千万部の発行部数を誇る雑誌『GON!』の世界なのだ!そうなったのは市ケ谷にある遺跡の地下からタイムカプセルに入った『GON!』が創刊号から七五六号までがキレイな形で掘り出されたおかげだ。それからすぐに復刻された『GON!』は再評価されて爆発的な人気を呼び、その影響で寝食を忘れて『GON!』の世界に没頭するレアなGON!マニアが次々と生まれ、ハイパー記憶装置で『GON!』の記事を一冊残らず全て暗記しちまう奴が数千人単位で出てくるからエラいことだ。マニアの濃さも雑誌同様に尋常ではなく、オリンピック規模の「国際まずジュー選手権大会」が4年に一度開催されるのを初めとして、『GON!』編集者の変遷や人間関係までもが克明に妄想されて勝手に相関図まで作られて『初代編集長比嘉健二研究』、『二代目編集長島田うどん語録』、『毒婦か?妖女か?猛禽類か?中村ポチ伝説』、『消えたGON!編集者たち』、など、ノストラダムスの解釈本なみに一人ずつ何冊も研究書が書かれる始末である。編集部の見取り図や編集部を再現したジオラマや編集部員のフィギアやアイコラ(この時代になると3Dホログラム)や、果てはダッチワイフ(なぜか武駄ケロが一番人気!)が何種類も作られて売られてしまうのだから驚きである。TV番組の「29世紀開運なんでも鑑定団」でも『GON!』は一冊あたり数千万円の評価額が出るんだから、子孫に金を残したい読者は本誌を大切に保存しておくといいぞ〜。そして最終的にはこのブームは市ケ谷に『GON!』記念館が建てられ、はとバスや修学旅行の定番コースに組み入れられる所までいくから大変なもんだ。『GON!』記念館内にはジャンキー神社が作られ「島田うどん大明神」が祭られ、「コレを拝むとその後は良いトリップが体験できる」という噂が流れて大勢のジャンキーたちが参拝に訪れる。おかげで俺も有名になり、他人のプライバシーを暴くゴミを漁り行為は「ムラサキ」と呼ばれるようになるのだ!それにしてこういうブームは生きてるうちに来て欲しいもんだぜ(絶対、無理)。
★教訓:「映画化される『ケイゾク』が面白いかどーかは俺の知ったことではないが、“継続は力なり”というのは受験の世界だけの真実ではないようだ」ってことかねえ。実際のところ、『GON!』は刊行され続けることに深い意義があると俺は信じている。この雑誌が売れなくなるようでは日本の未来はまっ暗だぜ!(鬼畜的に)

4 その他の西暦3000年の神話&伝説

★村崎のコメント
 諸般の事情で以下はあまり深いコメントができないが、読者諸君はよ〜く妄想しておくように!

 「佐渡のトキが絶滅したのは最後に残ったトキの夫婦の妊娠を朝○新聞が単独スクープしてトキにプレッシャーを与えたせいだった。ド最低極まるセクハラ行為をした朝○新聞は、人民の怒りとトキの呪いでほどなく潰れたという」
★教訓:「この世の報道人にはスクープよりも大切なことがある。それは“他者への思いやりの心”である」ってとこですかね。

 「昔々ある所に貧乏だがけつの穴の奇麗な美少年がいました。少年は何度かハラジュク国のホコテン市に旅(ジャーニー)をして、善良な魔法使いのホモ老人と出会い「ユーもう寝なよ」と言われ、その晩けつの穴が広がる夢を見ました。すると少年はけつの穴ばかりか輝かしい未来が開けて、女の子に超人気のアイドルになれたのです。めでたし、めでたし、それジャ〜ニ〜!」
★教訓:文字通り「果報は寝て待て」ってことですな。
 
 「昔々、クドー・トウシュというチンチクリンなセンズリの選手がおりました(29世紀ではセンズリが立派なスポーツとして流行している)。クドーは常々「僕は賭け引きをする奴が大嫌いだあ!」と公言しておきながら、その裏で二重三重に複雑な根回しをして自分の立場を良く見せようとするド最低の駆け引き上手なチンカス野郎でした。オナニーのしすぎで怪我をしたフリをして入院してみせたり、一通ずつ手書きでファンレターに返事を出すと大声でワメいたりして、ファンの同情を買おうと必死に努めたのですが、売名行為がミエミエすぎてファンもみんな呆れてしまいました。ある日、駅で立ち食いソバを食べようとしたクドーは、注文した天ぷらソバとは違うかけソバが運ばれてきて怒り、「俺はかけソバは嫌いだあ!」と叫ぶつもりが思わずいつものクセで「俺は駆け引きは嫌いだあ!」と叫んでしまい、因縁をつけられたとカン違いしたソバ屋の店員にどんぶりで頭を殴られて死んでしまいました。このニュースを知った人々は「自業自得だ」と誰も同情しませんでしたとさ。おしまい」
★教訓:「過ぎたるは及ばざるがごとし」だね。何でも程々にしておいたほうがいいということである。駆け引きもセンズリもやり過ぎは良くないぜ。


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